図書館通信第60号を発行しました

掲載日
2021年7月1日

図書館通信第60号(2021年夏号) テキスト版

巻頭言

「SDGs、住民のやる気に火をつけて」
国連広報センター所長 根本 かおる(ねもと かおる)

 新型コロナウイルス感染症の世界的大流行の中で、私はよく本を読むようになった。在宅勤務中心の生活でせめてもの「おそと気分」をとベランダに出て、仕事が終わってからビール片手にお気に入りの作家の本を読むのが、今の私のささやかな贅沢だ。以前はあまり読まなかったフィクションを楽しむようになったのは、現実逃避願望のあらわれなのかもしれない。メンタルヘルスの維持に大きく貢献している。図書館を訪れる方々も、コロナで制約の多い暮らしを受けて、本を読むことや図書館に赴くことにそれぞれの思いを託していらっしゃるのではないだろうか。新型コロナウイルスが世界を揺るがし始めて1年余りになる。世界では従来知られていなかった感染症が今も次々と見つかり、その75パーセントもが動物由来の感染症だ。大規模な森林破壊と乱開発、気候変動、生物多様性の喪失などが背景にあると言われている。根本的な感染症対策には、人間界と自然界とを一つの健康概念でとらえ、システムとして崩れたバランスを立て直すことが必要だ。 
 3年間の集中審議を経て2015年9月に国連総会がすべての国連加盟国の総意で採択した「持続可能な開発目標(SDGs)」も、経済・社会・環境を統合的にとらえてシステム転換し、地球を持続可能な方向に牽引することを目的にしている。深刻化する一方の気候変動を含む環境破壊、格差と不平等の拡大、紛争の長期化などで、このままでは美しい地球とこれまでの豊かさを将来世代につないでいけないとの強い危機感があった。国が裕福になっても下層にまで豊かさの配当は行き渡らない。SDGsは「誰一人取り残さない」という人権に根差した理念を大原則とし、置き去りにされがちな人々への包摂を求めている。実施開始から6年目。SDGsの日本社会への普及と浸透は著しく、SDGsの認知度調査でも今や回答者のおよそ半数、若者においては学校教育の影響などで7割もが知っていると答えるまでになった。強調したいのは、SDGsの実践は、各国政府のみならず、自治体や各種団体、企業、個人が果たす役割が非常に大きいということだ。あらゆる層がインパクトの大きなアクションを加速化しなくては、到底SDGsの達成に近づくことができない。
 「SDGs未来都市」「自治体SDGsモデル事業」に選定された豊島区は『としまSDGsチャレンジブック』を作り、住民にアクションを呼び掛けている。チャレンジブックの「ゴール4:質の高い教育をみんなに」のページには、「図書館でSDGsについて調べてみよう」とある。図書館はSDGs関連書籍の企画などで住民のやる気に火をつけることができる。「消滅可能性都市」の危機意識から、「文化によるまちづくり」を柱に持続可能な都市を目指してこられた豊島区が、ピンチをチャンスにしてどのように挑んでいくのか、SDGsの実践として大いに注目している。
 

プロフィール

テレビ朝日を経て、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)にて、アジア、アフリカなどで難民支援活動に従事。ジュネーブ本部では政策立案、民間部門からの活動資金調達のコーディネートを担当。WFP国連世界食糧計画広報官、国連UNHCR協会事務局長も歴任。フリー・ジャーナリストを経て2013年8月より現職。

記憶のなかの人たち

第2回「カルタの中のスタルヒン」
NPO法人「としまの記憶」をつなぐ会副代表理事  小櫻 英夫(こざくら ひでお)

 「ガム咬んで スタルヒンゆうゆう 投球す」
 70年前の「プロ野球カルタ」のこの一枚が私の記憶に残る。終戦直後、物不足の中で、元旦の朝に父がくれた少年雑誌の附録。モノクロームの「取り札」には、白人の大男が両手を頭上に振りかぶって今にも剛速球を投げようとする姿が。「詠み札」が冒頭の一枚。
 赤バットの川上、青バットの大下。二人の強打者が人気を二分する中で、私はひとり、この異形の投手に魅かれていた。一度も口にしたことのないガムは甘味への誘惑。進駐して来た外国人への畏れと羨望。手製の布ボールと竹のバットで遊んだ子供の夢の世界のプロ野球選手。
 沢村栄治と共に、設立されたばかりの野球殿堂入りした伝説の大投手ビクトル・スタルヒン。ロシア革命で母国を追われ北海道旭川に逃れた亡命者一家。甲子園への道を期待された中等学校野球の星。父親の殺人疑惑事件で再び旭川を追われるように入ったプロ野球への道。草創期の巨人軍での数々の快投。戦時中は「須田博」と改名を迫られた、敵国人としての日々。進駐軍ロシア語通訳として働いた戦後。プロ野球に戻るも弱小球団を渡り歩いた晩年と淋しい引退。無国籍のまま、1957年、自ら運転する車で東急玉川線三宿駅で電車に激突し、40歳で亡くなった生涯。
 スタルヒンの短い生涯は、長女ナターシャの著書『白球に栄光と夢をのせて』に活写されている。西木正明の直木賞小説『凍
れる瞳』には、一度だけ投げ合った記憶を誇りに、後にBC級戦犯となった球児と進駐軍通訳時代のスタルヒンの一瞬の交差が描かれている。
 そして今。少年スタルヒンが毎日通った「スタルヒンの湯」が昨年閉鎖された。同時代のライバル沢村栄治の生誕地、宇治山田駅前の明倫商店街は、錆びたアーケードの鉄骨がむき出しになっている。過疎となった故郷に立つ二人のピッチング姿の銅像。現在のプロ野球の隆盛に何を想う。
 
往時茫々。私の一枚のカルタの記憶は残る。

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プロフィール

昭和17年(1942)大阪生れ福岡育ち
昭和40年(1965)TBS入社 ラジオ・テレビの制作担当
平成21年(2009)大正大学表現学部教授
プロ野球「西鉄ライオンズ(現西武)」を愛し続ける九州男の気質が抜けない。
大正大学の学生たちとNPO法人「としまの記憶」をつなぐ会の映像制作を続け
ている。

生涯の一冊

「人生を豊かにしてくれる読書~山本周五郎 樅ノ木は残った~」
株式会社三省堂書店池袋本店 本店長 菊池  晋 (きくち すすむ)

 いつの頃からか本を読むことが日課となり、書店員や図書館司書の多くがそうであるように「本のある場所で働こう」と決めてから20年が経ちました。
現在、書店員である私にとって生涯の一冊とするには、まだまだ読みたい本がありすぎるのですが、自分に最も影響を与えた本ということであれば、山本周五郎の『樅ノ木は残った』をご紹介します。
 江戸時代の仙台藩伊達家のお家騒動を題材にした時代小説で、はじめて読んだのは高校に入学したばかりの頃でした。
この伊達騒動は歌舞伎や人形浄瑠璃でも人気の演目で、主人公の原田甲斐は従来は藩の乗っ取りを企んだ悪人とされてきました。
ところが本作では伊達藩存続のために尽力した忠臣として描かれており、周五郎はこのことについて「史実に基づいて忠実に解釈した結果だ」と述べています。
 江戸幕府に多くの藩が改易、取り潰された当時において、お家騒動がありながら伊達六十万石が存続した史実から、原田甲斐=忠臣とする視点がまず面白いところです。
山本周五郎作品は、市井に生きる人々を様々な目線と価値観から描くことが特徴で、理不尽に立ち向かう主人公も、飄々と受け流す主人公も登場します。
自分が正しいと思っていることでも、別の誰かからすれば全く違う解釈になり得ること。どちらが正しいという事ではなく、どちらも正しい場合があるという柔軟な発想を感じます。
 原田甲斐は、寡黙で、信念を持った思いやりの深い人物として描かれています。当時の私は、この長編小説を徹夜で読み、夜明けとともに得た感動や価値観は今も自分の中に残っています。書店や図書館には一生をかけても読み切れないたくさんの本が並んでいます。
 一冊の本との出会いは、私たちの人生を豊かで幸せにする可能性を常に秘めています。これからも、書店や図書館で生涯の一冊を探し続けたいと思います。

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『樅ノ木は残った』の所蔵状況はこちら

プロフィール

2000年三省堂書店入社。
情報システム課、有楽町店、大丸札幌店、経営戦略室、そごう千葉店を経て2015年に池袋本店配属となり、2018年9月より現職。
本屋や図書館が街にあり続けると良いなと思っている書店員。

図書館と私

「遊び場」
執事喫茶Swallowtail 伊織

 小学五年生の夏休みのことです。友人たちと私は、図書館に設置されている窓際の大きな閲覧机と、奥にしつらえられた畳の小上がりが気に入りの場所でした。どちらかを占拠して勉強するのがお決まりです。しかし残念なことに、ひとりとしてそんなお題目が長続きするほど集中力を持ち合わせていません。誰からともなく棚の本に手が伸びます。ひとり、またひとりと机を離れていきます。興味深い専門書を集めて広げたり、おもしろいタイトルの本を探り出しては一番を競ってみたり、背伸びして小難しい本を眺めたりと、サボりのネタは尽きません。図書館ならではの本を中心としたサボり(遊び)方が日々生まれていたことを覚えています。
 私たちの間に自然発生した本の遊びは、実にたくさんの出会いを生んでくれました。好きな事柄については、ずっとずっと大人が読むだろう堅い本まで誰に邪魔されることなく手を伸ばすことができました。友人が持ってきた未知のジャンルの本も、作者の名前が同級生と似ているというだけで興味を持つことができました。
 学びの原点は興味であると私は考えます。興味を持って自らの意思で学ぶことは「強いて勉める」こととは異なった質と浸透率をもっています。まさに、好きこそものの上手なれですね。読め、と強いられるでもなく、「まだ早い」だの「値段が高い」だのと一方的な垣根で隔てられることもなく、読みたいと思う本を自分から見つけに行き、自由に読むことができた経験は、疑いもなく貴重なものでした。こうして得た広く浅い知識の数々は、やがて思いもよらない場面でふと役に立ってみたりするのです。今になってありがたみと、図書館にかけていたであろうご迷惑への反省を噛みしめております。
 好きな本が好きなだけ読める場所──そんな当たり前で見過ごしがちな遊び場が近くにあることを、ひとりでも多くの方が思い出してくださることを願っています。
 

プロフィール

執事喫茶スワロウテイルの執事。
執事たちで結成された執事歌劇団では、舞台脚本を担当する。
ティーインストラクターの資格を持ち、紅茶のオリジナルブレンドも行う。

この本カフェ

寄稿者はとしまコミュニティ大学の内、登録して学んでいる「マナビト生」です。マナビトゼミ担当・当中央図書館開催の書評講座講師の佐藤壮広氏の監修のもと、毎回テーマに合わせて文学、児童書、科学や評論などの分野のお薦め本を紹介しています。

24杯目「東京」
1964年の東京オリンピックの年に、作家・開高健はルポ『ずばり東京』(現、光文社文庫)を発表した。国際都市として急ピッチで整えられていく表通り。そこから裏路地へ一歩入って開高が聴いた人びとの声は、イケイケのニュースとは異なるものだった。「五輪」の話題を抜きに今の東京は語れないが、聖火リレーやパレードの裏通りを視る眼もまた必要な時だ。東京を、みよう、歩こう、読もう。

書名『東京さんぽ絵本』 阿部行夫著 文溪堂 2020年

 雪の東京駅からスタートし、上野〜皇居〜お台場〜神田明神〜浅草と、移りゆく四季と共に様々な顔を見せる東京の町を案内してくれる絵本です。街中の細かい描写に加え、銀座や歌舞伎町の由来や公園の成り立ちなど、添えられた豆知識「さんぽメモ」が楽しさを増幅させてくれます。
 夕暮れ時、赤く染まった富士山を東京タワーから望み、星空と高層ビル群が溶けあう夜景を見ながらの散歩は、とてもロマンチックです。さあ、あなたも東京さんぽに出かけてみませんか?
【 中冨 邦子( なかとみ くにこ)】

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書名『江戸から見ると』〈 1 〉田中優子著 青土社 2020年

 「もう、東京に来ないで」。小池都知事がコロナ感染拡大に人流抑制の音を上げた。大和心での「 お・も・て・な・し」 どころではない。さて、東京五輪はどうなるのか。
 田中優子・法政大学前総長が6年前から毎日新聞に連載している同名コラムをまとめたのが本書。グローバル化で一人ひとり可能な限り幸せに生きるという江戸時代の生活価値観を捨てて、世界トップに伸し上がった国際都市・東京だが、ひたすら「課題先送り先進国」として歩み、2度目の五輪などと大風呂敷を広げてきたことに改めて気づかされる。
【 中谷 範行( なかや のりゆき)】

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書名『向田邦子と昭和の東京』 川本三郎著 新潮社 2008年

 ノスタルジーの作家向田邦子は、才能を惜しまれながら、台湾の空で生涯を閉じた。川本は愛惜と哀悼の意を込めて、向田作品の背景をつぶさに紹介している。恵まれたお嬢さん育ちの向田は、怒りや憎しみ、恨みや妬みといった負の感情を描くことは少なかった。それよりも家族の秘密と嘘や、男の不倫を許容する作品を多く残した。なぜ向田作品にこの様な特徴があるのかについては、川本の説得力ある解説で納得できる。本書は、向田がこよなく愛し、消えていった、昭和の東京の言葉(卓袱台、蚊帳、おひつなど)や習慣へのレクイエムでもある。
【 久保田 仁( くぼた じん)】

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世界の人々が出会う場所×多様な文化が生まれる舞台TOSHIMA

人と人とが出会い生まれた「想像力・創造力」でまちを耕してきた豊島区。誰もが主役になれる「国際アート・カルチャー都市」の舞台で人々はどのように文化を生み出してきたのでしょうか。

第2回 「伝統工芸から観る『多文化共生』」
一般社団法人イマジンワンワールド(https://www.piow.jp/)
代表理事 手嶋 信道(てじま のぶみち)

 一般社団法人イマジンワンワールドは、世界213の国と地域、それぞれが大切に思い誇りとしている自然・文化・歴史を描いたKIMONOを制作しました。全てのKIMONOが1つの輪をつくり、〜世界はきっと、ひとつになれる〜という平和のメッセージを世界中に届けるプロジェクトを展開しています。ナショナルオリンピック委員会の国と地域206と難民選手団で207着、ラグビーW杯2019の出場チームなど6着を合わせた全213着です。制作費は平等に1カ国200万円、総額4億2600万円は全額が全国からのご寄付で集まり、オールジャパンの取り組みへと拡がりました。メンバーは私も含め、全員がボランティアです。
 この軌跡の原点は、当社団の理事の瀬戸山正二さんのアイデアで、各国の大使館を訪問するようになったことです。瀬戸山理事は、ビーチバレーが正式競技になって初のアトランタオリンピックで代表に選ばれ、シドニー五輪、北京五輪ではビーチバレー日本代表監督を務めました。そうしてKIMONO の制作は、各国の大使や文化担当者の方に自国の良い面、悪い面、本当の話をうかがいながら進行してきました。
 「多文化共生」には、相手の国を理解することが大切だということを知りました。そのためには情報の取捨選択をしなければなりません。インターネットメディア等に溢れる間接的な情報だけを鵜呑みにしていては、真実と異なることもあったのです。
 そして日本のカルチャーである着物も、「多文化共生」の中で少しずつ進化してきました。時代や文化の変化に応じて調整されなければ、そもそも伝統は続かなくなってしまいます。変化は伝統の破壊ではなく、多文化、新技術との融合による進化なのではないでしょうか。213着のKIMONOたちは、全国の匠の技と情熱によって、伝統の技と新たなチャレンジが融合し、現代における最高峰の伝統文化として未来に継承されるレガシーになる、そんな誇れる作品になりました。
 その時、変化には不安も伴うので、新しい世界を切り拓くには、勇気も必要です。失敗をすることを心配せずに日本人初のメジャーリーガーになった「マッシ―・ムラカミ」は、河出書房新社刊の小説『マイ・フーリッシュ・ハート』(秦建日子著)の中にも描かれています。「マッシー・ムラカミ」は当社団の理事、村上雅則さんの愛称です。東京オリンピックが開催された1964年に南海ホークスから野球留学で渡米し、サンフランシスコジャイアンツに入団、メジャーリーグデビュー初日9回同点の場面で初登板して11回までを無失点に抑え、メジャー勝利投手となりました。新しい世界に飛び込む勇気と未知への好奇心。人生は一度きり。チャンスがあれば「トライして知る」ということの大切さを村上理事は巻末インタビューで語っています。今はコロナ禍で閉塞感が広がっています。こんな時期だからこそ、視野を広げたり発想を転換することが必要でしょう。良い変化を招くヒントになる爽快な本です。
 村上理事はメジャーリーガー時代に、ボランティア活動に励むロベルト・クレメンテ外野手と出会い多大な影響を受け、以来ボランティア活動を27年継続しています。国連難民高等弁務官事務所から初の国連難民親善アスリートにも選ばれました。世界には様々な状況の方がいらっしゃいますから、共生にはボランティアも大切です。
 当法人の活動は多くのボランティアの方の協力があったからこそ、進化してこられたことを深く感謝しています。

『マイ・フーリッシュ・ハート』の所蔵状況はこちら

プロフィール

1993年 株式会社アシックスベースボールプロモーション、ブランド推進、イベントマネジメント(欽ちゃん球団含む日本リーグ)、その他、1999年 女子硬式野球(任意団体)立上げメンバー、2004年 全日本野球会議構成団体(理事就任)、2015年 一般社団法人イマジンワンワールド(理事就任)、2019年 一般社団法人イマジンワンワールド(代表理事就任)

人が集まり 出会いが生まれる回遊都市 豊島区と乗り物

新たな出会いが生まれる場所と場所を結びつけるのが「乗り物」。古くから愛され変わらない場所と最先端の設備を備えた場所が交差する豊島区。新たな広がりとつながりを作り出す「豊島区の乗り物」はどのように変化していったのでしょうか。

第2回 「『豊島区の発展と鉄道』~池袋を中心としたまちづくりと鉄道が与えた影響について~」
JR東日本第52代池袋駅長 長友 真輝(ながとも なおき)

 新型コロナウイルスの影響が続く中、人の移動そのものが制限される世の中になった。
 私が勤務する池袋駅は、ご利用いただいているお客さま、豊島区の地域の皆さまに支えていただき現在がある。今後更に地域とのつながりを強くして豊島区の発展に貢献したいと考えている。これから、鉄道の発展が豊島区のまちづくりに与えた影響をその歴史から紐解いていく。
 明治時代の池袋駅周辺は、農村地帯が広がり、人通りも少ない地域であった。
 鉄道の歴史を見ると、日本に鉄道が開通した明治5 年(1872 年)から遅れること13 年、明治18 年(1885年)3 月に日本鉄道品川-赤羽間が開通した。豊島区地域では、近隣の村から停車場設置の要望書が出され、品川-赤羽間開通直後に目白停車場が開業した。
 日本鉄道はその後、高崎線、東北線などを開通させていったが、これらの線区と品川を結ぶ路線の建設が課題となっていた。
 そこで、目白-田端間の豊島線を建設することとなったが、目白駅付近の住民の反対や地形の問題から目白駅の拡張が困難なこともあって、目白駅と板橋駅の中間に池袋駅を設置して、そこから分岐するように計画を変更した。
 明治36年(1903年)4月1日に豊島線が開通し、同時に池袋駅、大塚駅、巣鴨駅が開業、品川-赤羽間を合わせて山手線と呼ばれるようになった。
 その後、東上鉄道(のちに東武鉄道と合併)が大正3 年(1914 年)5 月に池袋-田面沢間が開通し、大正4 年(1915 年)4 月に武蔵野鉄道(のちに西武鉄道と合併)が池袋-飯能間で開通した。こうして池袋駅を起点とする私鉄路線の開通により池袋駅が大ターミナルとして発達する素地が形成されたのは約100年前のことである。
 その後、池袋が発展するきっかけとなったのは、昭和10 年(1935 年)に開業した菊屋デパート(のちの西武百貨店)を皮切りに、三越、東京丸物(のちのパルコ)、東武百貨店が開業、こうして池袋駅が急速に発展して行くのである。現在では東京屈指の繁華街を持つ大ターミナル池袋駅を中心として数多くの百貨店や商店街、家電量販店が集中している。また、多彩な文化・芸術にあふれ、新たな商業施設も次々にオープンしている。東口には、Hareza池袋や公園もリニューアルした。西口にはグローバルリングが開業し、椎名町にはトキワ荘マンガミュージアムもオープン、まちの魅力やポテンシャルはさらに向上、変化し続けている。新型コロナウイルスの影響により、計画されていたイベントは中止を余儀なくされているが、コロナ後に備え、地域の皆様との連携をさらに強固なものにして力を蓄え、いい準備を進めていく。
 先日、上池袋二丁目の上池袋図書館を訪ねた。豊島区内の各区立図書館は、地域の特色ある図書館づくりを目指した本を収集している。上池袋図書館は、旧国鉄池袋電車区跡地に建てられたこともあってか「鉄道に関する本」の収集に力を入れている。

プロフィール

1990 年 JR 東日本入社、1999 年 東京駅助役、2009 年 大崎駅長、2020 年2 月より現職

「SDGsと豊島区と図書館と」

 SDGsとは、2015年9月に国連サミットで採択された、持続可能な開発目標のことです。
 2030年までに、発展途上国だけでなく、先進国を含めた全ての国が、持続可能な開発の道へ舵をきるための17の目標と169のターゲットから成り立っています。
 経済・社会・環境の三つの面を合わせて取り込んだこの目標の実現には、国や企業、地方自治体だけでなく、一人ひとりの協力が欠かせません。
 豊島区は、都内初の「SDGs未来都市」および「自治体SDGsモデル事業」選定都市として、SDGsを積極的に推進しています。また、SDGsをより身近に感じてもらい実践していただくために、区民の皆様の視点で具体例を示した『としまSDGsチャレンジブック』を作成しました。
 豊島区立図書館では、SDGsの学習に役立つ本をそろえています。SDGsそのものを扱った本はもちろんのこと、目標実現の行動に必要な、社会で取り残されてしまう弱い立場にある人を想う力、世界の未来を想像する力を養う本をたくさん用意しています。
 「誰一人取り残さない」よりよい未来を創るために、みなさんもぜひ本を手に取ってみてください。

新航路

「第7期 図書館経営協議会がはじまります」

  昨年7月に豊島区がSDGs未来都市に選ばれてからもうすぐ1年。豊島区の図書館も(限られた予算ではありますが)SDGsに関する資料の収集に力を入れ、「SDGsって何だろう」という疑問に応えられるような展示や事業を行っています。
 最近は雑誌・新聞などにもSDGsに関する記事や特集が増え、企業の目標や取組みが発信されています。今後さらに、「SDGsについて学びたい、知りたい」というニーズが高まるのではないかと考えていますので、その学びの場として図書館を利用していただけるよう、内容を充実していきます。
 また、こうした図書館の取り組みやサービスを評価する「図書館経営協議会」第7期がいよいよ始まります。今期は、学識経験者、教育委員、ジャーナリスト、区民、大学図書館・学校関係者、障害者団体やボランティア団体の代表者の方々からご意見をいただきます。図書館は様々な主体とつながりながら、文字活字文化を大切にし、本が好きな人を増やしていきたいと考えています。図書館経営協議会は傍聴もできますので、ぜひお越しください。

問い合わせ先

豊島区立中央図書館
電話 03-3983-7861 ファクス 03-3983-9904