図書館通信第61号を発行しました

掲載日
2021年9月26日

図書館通信第61号(2021年秋号) テキスト版

巻頭言

「知を持って争いを遠ざける。それが図書館の力」
ジャーナリスト 清野 由美(きよの ゆみ)

  『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を、観たことはありますか。巨匠、フレデリック・ワイズマン監督による2017年公開の作品で、世界最高峰の図書館の一つといわれる「ニューヨーク公共図書館(NYPL)」の、あらゆるシーンが切り取られています。
 たとえば、リチャード・ドーキンスやパティ・スミスら、各界のスーパースターによるレクチャー。その一方で、市民がダンスに興じるご近所感満載のサークル。利用者が寄せるさまざまな質問や相談に耳を傾け、アドバイスする司書。予算獲得も含め、図書館の課題を真剣に議論する運営幹部やボランティア。
 3時間半にせまる長尺の映画は、ハリウッド流の派手なアクションとは無縁に、ひたすら淡々と図書館の日常を追うだけです。正直、眠ってしまいそうな筋運びなのですが、その淡々としたリズムに乗って、いつまでも観ていられる。いや、もっと長くても観続けたい、という不思議な魔力があります。
 なぜかと考えるに、創立110年を誇る壮麗な本館を舞台にした、視覚の効果もさることながら、NYPLが常に「よりよい未来」を見つめ、そのための努力を関係者が惜しまない姿が、あますところなく描かれているからではないでしょうか。画面に映し出される民主主義の理想に触れると、いま、目の前の現実がひどいものであっても、明日を信じようという気持ちがわいてくるのです。
 近頃、民主主義は激しい競争にさらされ、屋台骨がゆらぐ場面も少なくありません。しかし、図書館の中には知をもって争いを遠ざけるという、私たちの力の原点があります。外で嵐が吹いていても、ここにいれば守られる。そんな安心感を与えてくれる場所が図書館です。
 その安心感は、森林浴にも通じているのではないかな。木材から作られた紙がぎっしりと集まって、一つの世界を作っている。人の知恵とともに、自然と通じるチャネルも図書館にはある。私たちにとって、大事な、大事な場所です。

『変われ!東京 自由で、ゆるくて、閉じない都市』の所蔵状況はこちら

プロフィール

ジャーナリスト。都市文化研究者。都市やコミュニティの先端事例を内外で幅広く取材。都市再生に戦略コーディネーターとして携わる。近著に『変われ!東京 自由で、ゆるくて、閉じない都市』(隈研吾と共著、集英社新書)。

記憶のなかの人たち

第3回「「江戸川乱歩」二度の記憶」
NPO法人「としまの記憶」をつなぐ会副代表理事  小櫻 英夫(こざくら ひでお)

 これまで気ままに書いてきたが、今回初めて編集担当者から「乱歩の記憶を」との注文があった。この程、「江戸川乱歩賞」贈呈式が67回目にして初めて乱歩邸のある豊島区で開催される故であると言う。
 卒直に告白するが、私は熱心な愛読者ではない。しかし、強烈な記憶に残る人物だ。
 九州の農村で育った私にとって、少年雑誌は最大の楽しみ。『冒険王』・『少年』・『おもしろブック』・『少年少女譚海』など。明智小五郎・少年探偵団の小林少年・怪人二十面相・透明怪人。麻布・赤坂・麹町などの地名。事件の舞台の博物館。雑誌に登場するこれらの全てが架空のもの、この世には存在しないと信じていた。こんなにもドキドキする物語を書く江戸川乱歩さえも架空の人間なのだとも。
 架空が崩れたのは突然だった。多分、小学校高学年になっていた頃だ。ラジオから江戸川乱歩を名乗る人物の声が流れて来た。それはクイズ番組の解答者としてだったと思う。「話の泉」「二十の扉」「私は誰でしょう」などに、作家大下宇陀児、作詞家藤浦洸などと共に登場した乱歩。あのハラハラ、ドキドキを書く架空の人物ではなく、やさしい声で面白い話をするオジさん。
 「江戸川乱歩は本当に居たんだ」。まさに衝撃だった。
 九州の大学を卒業して就職したのは東京赤坂のテレビ局。麻布、麹町は近く、事件の舞台の博物館にも行った。全てが本モノだった。
 後に大学で教職に就き、学生達と実習の為に池袋の乱歩邸の書庫の撮影に出かけ、孫である平井憲太郎さんから、こんなエピソードを聞いた。「祖父乱歩のラジオ出演が楽しくて、連れて行ってくれとせがんだ。私の目的は控室に用意された山のようなお菓子だった」と。確かに、開局時の民放ラジオのスポンサーには、森永・明治・カルビー・カバヤなど菓子メーカーが並んでいた。
 河出書房新社刊『江戸川乱歩アルバム』に、ニッポン放送のマイクに向う姿、徳川夢声と対談する写真などが残されている。
 架空の人物江戸川乱歩は池袋に実存した。孫思いの、優しく人情家の乱歩。地域の世話役として頼られた乱歩。「アニメの聖地」に加え、「ミステリーの聖地」の名が豊島区に冠されることを祈るばかりだ。

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プロフィール

昭和17年(1942)大阪生れ福岡育ち
昭和40年(1965)TBS入社 ラジオ・テレビの制作担当
平成21年(2009)大正大学表現学部教授
プロ野球「西鉄ライオンズ(現西武)」を愛し続ける九州男の気質が抜けない。
大正大学の学生たちとNPO法人「としまの記憶」をつなぐ会の映像制作を続けている。

生涯の一冊

「人はみな「自分の星」を心の中に持っている」
食を旅するイラストレーター・マンガ家 織田 博子(おだ ひろこ)

 私の半生を聞いたある人は、こう言った。「ずいぶん散らかった人生ですね」。「文系大学を卒業後、システムエンジニアとして就職。三年後、『世界の家庭料理を食べてみたい』と、ユーラシア大陸を七か月間一人旅。その後マンガ家としてデビューし、ロシアや中央アジアなどの旅の本を出版している。二児の母」
 散らかった人生とともにあった「生涯の一冊」は、『天文台日記』(石田五郎著)。岡山天体物理観測所の副所長を務めた石田五郎先生による日記。ユーモアと星への愛にあふれた文章で、天文台の日々を綴っている。
 天文学者はロシアの戯曲『星の世界へ』のようにロマンチックな日々を送っているのかと思いきや、来訪者への対応、機器のメンテナンスや故障への対処など、雑事に没頭されてばかりの石田先生。しかしときおり訪れる「“私の星”との静かな対話」の時間。リルケの詩を引用し、「暗い宇宙の空間をほそぼそと流れゆくひとすじの光の糸が、その都会の消息を告げる唯一の手段である。それならば、望遠鏡にとりつけた分光器は、その都会からの手紙を開封するはさみであろうか。……この広い空間の中に、その大部分はだれにも解読されることもなく、音もなく、むなしくとびかっている」。何千年も前に送られた手紙を開封し、星の言葉を聞く。やっぱり、天文学者ってロマンチストだ。
 星は雲によって隠されてしまうことも。バッハやベートーヴェンのレコードとコーヒーのある「深夜喫茶」(待機室)で雲の晴れるのを待つ。静かな深夜の空気の中、ただ一人。石田先生の優れた文章は、「自分との対話」のなかではぐくまれているんじゃないか。
 「散らかった人生」を送ってきた私は、インドの塩の砂漠で、ロシアの空港で、締め切りに追われマンガを描く中で、何度もこの本を開いて静謐な孤独を愛する石田先生の言葉を読んだ。人から見れば散らかった人生でも、私にとっては「自分との対話」で選んだ結果の積み重ねで、そこには一つの筋が通っている。それはきっと「私の星」へ向かう道なのだと思う。

 

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プロフィール

食を旅するイラストレーター・マンガ家。土地の空気感あふれるイラストやマンガが特徴。世界のおばちゃんやおじちゃん、家庭料理を描いています。駒込在住の二児の母。駒込の今を伝えるコミュニティペーパー『こまごめ通信』、豊島区を楽しむマガジン『池ブルックリン』主宰。著書『世界家庭料理の旅』(イースト・プレス)他

図書館と私

「私の情報収集法」
パソコン周辺機器擬人化コンテンツ
周辺男子・ルーター

 「やぁ、今日も何か調べにきたのかい?」
 みなさま、こんにちは。「周辺男子」のルーターと申します。「周辺男子」とは、パソコンの周辺機器を擬人化したコンテンツで、SNSマンガを中心に仲間たちとの日常を描いています。私、ルーターも普段はPC本体さんや仲間たちと一緒に楽しい日々を過ごしています。
 私の趣味は読書と情報収集。じっくり選んだ本を部屋で開くひとときは、お気に入りの時間です。秋の夜長に江戸川乱歩のミステリー、なんていうのもいいですね。
 情報収集はインターネットを使用することが多いのですが、図書館に足を運んでみるのも良いですね。インターネットの魅力は早さと手軽さですが、中には不確かな情報もあります。一方図書館にある資料は情報の更新は遅いものの、定説となっている情報が載っていることが多いので安心感があります。ですから、仲間から調べものを頼まれたときや質問をされたときは、インターネットで検索するだけでなく、図書館で調べた情報も参考にしています。
 「〇〇について調べたい」と思ったときに私がお薦めするのは、図書館にある百科事典や辞書を利用すること。え~?と思われる方も多いと思いますが、意外と便利なんですよ。巻末には索引もあるので、つながりのある事柄も調べられますし、本によって載っている情報が少しずつ違うので、色々な本を調べてみると更に理解が深まります。ここだけの話ですが、子ども向けの百科事典や図鑑は写真や図が多くとても分かりやすいので、大人にもおすすめです。
 図書館で膨大な本の海を漂う時間は、とても贅沢なものです。あなたの周辺に、「最後に図書館へ行ったのは小学生のころかも…」そんな方がいたら、ぜひこのコラムをシェアしてみてください。
 そして調べものをするときは、インターネット検索だけでなく、図書館の百科事典や辞書のコーナーを活用してみてください。
 きっとたくさんの新しい発見があるはずです。

プロフィール

知的で物静かな性格。一見冷たいように見えるが、喜怒哀楽がわかりにくいだけ。
本体とは物理的には繋がっていないが、情報を伝える重要な役割をしている。

この本カフェ

寄稿者はとしまコミュニティ大学の内、登録して学んでいる「マナビト生」です。マナビトゼミ担当・当中央図書館開催の書評講座講師の佐藤壮広氏の監修のもと、毎回テーマに合わせて文学、児童書、科学や評論などの分野のお薦め本を紹介しています。

25杯目「乱歩」
少年から大人まで魅了する作家、江戸川乱歩。そのペンネームを米国の人気作家からとったことはよく知られている。謎と怪と艶が混じり合った作品は映像向きだ。旧乱歩邸(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター)の土蔵(書庫)も、ぜひ訪ねてみるべし。

書名『天使のナイフ』 薬丸岳著 講談社 2005年

 三人の少年に妻を殺された檜山は、事件当時生後5ヶ月だった娘と二人、その記憶を引きずりながらも何とか暮らしていた。その4年後、加害者少年が殺害された事から彼のまわりで再び過去の事件が動き出す。
 少年犯罪が扱われ、犯罪被害者や加害者の心情、真の更生とは何かなどのテーマは重いが、展開はテンポ良く、文体も軽快。推理小説の醍醐味である真犯人は誰か、その動機は?といったエンタメ的要素も十分期待に応え、最後の最後まで目が離せない。
 本書は第51回江戸川乱歩賞を受賞した薬丸岳のデビュー作。
 【 古川 依子( ふるかわ よりこ)】

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書名『江戸川乱歩傑作選 蟲』 江戸川乱歩著 辻村深月編 文春文庫 2016年

 この作品は9つの短編集です。そして大半は凄惨な殺人を扱ったものでした。中でも「盲獣」は、4人以上の女性を犯人が暗示をかけて惨殺するストーリー。被害現場の描写の割りふりが、8頁、30頁、34頁、そして71頁と、読者を飽きさせないようにしているのは見事でした。また、これは作家デビュー8年目(昭和6年)の作品で、昭和11年以降の探偵小説とは随分趣が異なります。こうした作品群と後の探偵小説を比較すると、乱歩の懐の広さを感じます。
【 辻 秀幸( つじ ひでゆき)】

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書名『江戸川乱歩・少年探偵シリーズ(1)怪人二十面相』 江戸川乱歩著 ポプラ社 2008年

 BDバッチをご存じですか? 少年Boys・探偵Detectiveの大切な小道具です。1956年から私が夢中で読んでいた当時の少年雑誌に付録としてついていて、宝物でした。「怪人二十面相」のアジトはどこだろうと思いながら遊んでいた場所に、「戸山ヶ原」(現・新宿区戸山公園)があります。射撃練習用土塀の三角山に登り見渡すと、まだカマボコ型の建物が数棟残っていました。「怪人二十面相!アジトはこの近くですね。白状しろ!」。~さかい少年探偵の独り言~
【 酒井 一夫( さかい かずお)】

 

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世界の人々が出会う場所×多様な文化が生まれる舞台TOSHIMA

人と人とが出会い生まれた「想像力・創造力」でまちを耕してきた豊島区。誰もが主役になれる「国際アート・カルチャー都市」の舞台で人々はどのように文化を生み出してきたのでしょうか。

第3回「豊島区は日本最大級の食の「多文化共生」エリア
一般社団法人ハラル・ジャパン協会 (https://jhba.jp/)
代表理事/ハラルビジネスプロデューサー 佐久間 朋宏(さくま ともひろ)

  初めてずくめのコロナ禍での「東京2020大会」がこの夏に無事終わりました。日本選手もメダル数が過去最高でとてもいい結果を残しました。豊島区がホストタウンのバングラデシュ・セントルシア選手団は残念ながらメダルが取れませんでしたが、選手の皆さんはとても頑張っていたと思います。
 さて、私共の協会名でもあるハラル(ハラールとも言う)とは、イスラム教徒(ムスリムとも言います)の方々がやっていいことという意味で、主に食べ物のことを言います。簡単に言うと豚は食べられません、牛や鳥や羊などはハラル認証の肉を食べます。その他アルコール類はご法度で、みりんや動物性の油もダメです。そんなイスラム教徒の人が多いのも豊島区の特徴です。
 豊島区は約286,000人のうち外国人数が25,000人で8.7%と全国の中でも外国人が多いエリアです。※出典:豊島区HP(令和3年8月1日現在 住民基本台帳による) 身近にいる外国人のことを知ることは、お互いにやさしいまちになる第一歩だと思います。特に多いのは中国人ですが、バングラデシュ・パキスタン人などのイスラム教徒も多く、大塚モスク、ハラルフードを取扱うお店、レストランもあります。最近ではベトナム人、ネパール人も増えてきました。例えばマレーシア料理、パキスタン料理、中国料理などのハラルメニューが食べられます。
 豊島区には沢山のハラル料理レストランがあります。皆さんぜひ探してみてください。
 池袋西口公園ではバングラデシュの新年を祝う「ボイシャキメラ」というお祭りも行われています。バングラデシュの暦で4月14日は元旦にあたり、新年を祝い、2000年4月から毎年行われています。※コロナで2 年間は中止しています。
 また、西池袋には立教大学、東池袋には東京国際大学のキャンパスの移転も予定されており、国際色豊かな大学も充実しつつあります。このように、豊島区は様々な外国人が住んで、働いて、学んでいます。衣食住と同郷の仲間がいるとてもいい環境であるようです。
 食の「多文化共生」とは宗教のイスラム教のハラル、ユダヤ教のコーシャ等だけでなく、ライフスタイルのベジタリアン・ビーガンや、アレルギー(大きな意味でグルテンフリー)やオーガニックなども含まれると思います。※ 当協会では標語としてHAVO を提唱しています。
 この食の「多文化共生」を理解することで外国人対応はもちろん、シニアにも子供にもやさしいまちになり、人が集い、活気があるまちになります。豊島区のアニメ、コスプレなど加味すると「グローバルな豊島区」にも生まれ変わると考えられます。
 アフターコロナは豊島区に世界中から学びに、働きに、そして観光に来る人々がもっと増えると思います。そこで生活する豊島区民も様々な形で新しく世界とかかわっていくと考えられます。多国籍で異文化漂う外国人にもやさしいまち「食の多文化共生の豊島区」をこれからも楽しんで下さい。

プロフィール

1964年岐阜県生まれ、妻と豊島区在住。2012年10月豊島区南池袋にて一般社団法人ハラル・ジャパン協会を設立。バングラデシュを含めた東南アジア、南西アジア、中東・アフリカ市場に精通し、インバウンド及び輸出・進出のコンサルティング事業を行っている。現在は一般財団法人自治体国際化協会プロモーションアドバイザーも務める。

人が集まり 出会いが生まれる回遊都市 豊島区と乗り物

新たな出会いが生まれる場所と場所を結びつけるのが「乗り物」。古くから愛され変わらない場所と最先端の設備を備えた場所が交差する豊島区。新たな広がりとつながりを作り出す「豊島区の乗り物」はどのように変化していったのでしょうか。

第3回 「池袋と都電、トロリーバス」
平井 憲太郎(ひらい けんたろう)

 東京都内第2位の乗降客数を誇る池袋駅は豊島区の交通の中心ですが、実は今回のテーマである都電(東京市電)は、豊島区内ではもっとも遅い開業でした。
 巣鴨駅は1912年に東京市電が開通しており、大塚駅も1913年と大正時代ですが、池袋はそれに遅れること25年以上、昭和の、それも戦時色の濃い1939年の開通でした。西武池袋線も東武東上線も大正時代に池袋まで開通しており、市電も昭和初めには護国寺から矢来下(江戸川橋の少し南)まで伸びていたのですが、池袋駅は護国寺と結ぶ現在のグリーン大通りが開通していなかったため、大幅に遅い開通となってしまいました。
 しかし、私の知っている時代(1955年以降)は池袋から護国寺を通って大塚仲町(大塚三丁目)で春日通りに右折し、春日町(文京区役所前)で白山通りを右折して水道橋、神保町から一ツ橋で左折して、外堀通りに入り東京駅八重洲口から数寄屋橋まで結んでいた17系統と、大塚仲町で直進し不忍通りを経由して上野広小路までの臨時20系統が発着しており、いつも混雑していたことを記憶しています。
 というのも、私は子供の頃から鉄道模型が大好きで、その著名販売店が大塚仲町、神田美土代町、神田須田町にあり、ちょっと敷居の高い高級店も銀座4 丁目にあったので、すでに地下鉄丸ノ内線も西銀座(今の銀座)まで開通していたものの、電車賃の安さ(子供は往復15円だったと記憶しています)に惹かれていつも都電を使っていました。
 さて、もう一つのテーマ、都バスです。私はバスにはまったく詳しくないのですが、バスと言いながらバスではない無軌条電車(トロリーバス)は、一応鉄道の範疇と言うことで触れておきましょう。
 トロリーバスとは、道路上にはられた架線から電気を取り入れて走るバスです。路面電車に比べて線路を敷設する必要がなく、初期コストが低いことから、戦後多くの都市で導入されました。東京都でも1952年に上野公園から江戸川区の今井橋を結ぶ路線が開通し、その後は池袋を中心に明治通り経由の品川までの路線、やはり明治通り経由の亀戸までの路線、そしてこの路線の途中の三ノ輪町から分かれて浅草雷門を結ぶ路線と、全4路線が営業していました。
 この当時、明治通りは山手線(正確には山手貨物線)に踏切があり、こちらにも線路上に架線が張られていました。これを避けるために踏切部分だけトロリーバスの架線がなく、この区間だけのために搭載された小さなディーゼルエンジンで踏切を越えていました。踏切の前で一旦停車してバスに電気を取り入れる装置を下ろし、小さなエンジンであえぎながら踏切を越え、再び元に戻す作業を繰り返していたのです。トロリーバスは私の日常の行き先ルートではなく、乗車の思い出がほとんどないのですが、踏切での奮闘の姿が強く記憶に残っています。
 池袋の都電は1971年に廃止されましたが、トロリーバスはさらに早く、1968年に廃止され、どちらも都バスに置き換えられました。現在池袋を発着している都バスのルートも、この代替バスの流れを引き継いでいます。

プロフィール

1950年生まれ 西池袋在住 立教大学卒。
幼時からの鉄道模型大好き男。江戸川乱歩の孫。
株式会社エリエイ代表取締役、豊島区観光協会副会長、としま未来文化財団評議員、としまユネスコ協会代表理事を務める。

特集 江戸川乱歩

「江戸川乱歩と豊島区」
 山前 譲(やままえ ゆずる)

 本年度から江戸川乱歩賞の贈呈式が豊島区で行われるとの報道に接したとき、どうしてと首を傾げるミステリーファンはいなかったに違いない。というのも、江戸川乱歩は1934年から亡くなる1965年までの30年ほど、豊島区西池袋三丁目に居を構えていたのは周知の事実だからである。江戸川乱歩賞は1954年、乱歩の還暦にあたって創設された。当初はミステリー界の貢献者に贈られていたが、1957年の第3回から当時としては画期的な長編公募の賞となる。最初の受賞作の仁木悦子『猫は知っていた』がベストセラーとなり、以後、次々と話題作を生みだしていく。そして、受賞者が乱歩邸をまず訪問することが慣例となった。江戸川乱歩賞と豊島区の深い絆は脈々と受け継がれてきたのだ。
 江戸川乱歩は昔風の土蔵が気に入って池袋の家に越してきた。敷地は350坪、土蔵は2階建てで延坪15坪と、自伝的ミステリー史『探偵小説四十年』には書かれている。家賃は月90円だったが、戦後に買い取った。そこに移るまで40回以上の引っ越しをしてきた乱歩にとって、池袋が安住の地となる。池袋駅を挟んでミステリー界の盟友である大下宇陀児が住んでいたことも心安かっただろう。それまであまり人付き合いのしなかった乱歩だが、執筆の場を奪われた戦争中には町会の副会長として精力的に活動している。空襲であわやという時、町会の人たちの消火活動によって門が焼失した程度の被害で済んだ。もしあの蔵が焼け落ちていたら……とてもそんなことは考えたくない。戦後、ミステリー界の発展に意欲を見せた乱歩の自宅には、作家や編集者らが足繁く通った。近くの白雲閣(現・リビエラ東京)で行われていた新年会も、忘れがたいミステリー界のイベントだろう。そして1965年7月28日、訃報に接して乱歩邸に駆け付けた多くの作家たち──今なお残る乱歩邸の蔵が、ミステリーファンを豊島区へと誘っている。

プロフィール

推理小説研究家。1956年生まれ。文庫解説やアンソロジーの編集多数。2003年、『幻影の蔵』(新保博久と共著)で第56回日本推理作家協会賞評論その他の部門を受賞。

「江戸川乱歩とミステリーの生まれるまち池袋」
 西方 ゆり恵(にしかた ゆりえ)

 大都市へと発展していく池袋の歴史とともに、ミステリー作家たちの暮らしがあった。
 1934年夏、江戸川乱歩と大下宇陀児が豊島区に引っ越してきた。偶然にも同時期に二人が住んだのは、それぞれ池袋駅の線路を挟んで西側と東側だった。歩いて15分ほどの距離だったという。よく一緒に将棋をさしたり、宇陀児が犬の散歩の途中で乱歩邸に寄ったりしていた。二人のもとには編集者や作家も多く集まり、戦後にはその集まりを宇陀児が「土曜会」と名付け、現在の日本推理作家協会の前身である探偵作家クラブのもとになった。
 1949年にはさらに偶然が重なり、飛鳥 高が乱歩邸の隣に引っ越してきた。デビュー作となった「犯罪の場」は、雑誌『宝石』の懸賞に応募した際に、万年筆のインクが薄くて選考から外れそうになっていた原稿を乱歩が読んで拾い上げた縁がある。乱歩夫妻は飛鳥に小説を書き続けることをすすめ、建設会社に勤めながら約45年間書き続けた。面倒見の良い乱歩の姿がうかがえる。
 戦後すぐに南大塚に移り住んだ泡坂妻夫もまた、紋章上絵師の仕事をしながら、1976年、43歳の時に「DL2号機事件」でデビューした。
 日本推理作家協会では探偵作家クラブ時代から賞を制定しており、第4回は宇陀児「石の下の記録」(1951)、第5回は乱歩『幻影城』(1952)、第15回は飛鳥『細い赤い糸』(1962)、第31回は泡坂『乱れからくり』(1978)が受賞している。乱歩や宇陀児が始めた活動に次の世代の作家たちが続いていく。
 現在協会の代表理事を務める京極夏彦のデビュー作は、雑司が谷を舞台にした『姑獲鳥の夏』である。かつて宇陀児の家があった駅の東側から足をのばすと、池袋のまちの賑やかさがまだ耳に残るうちに、雑司が谷の森の静けさに出会う。
 都市と郊外が混在する池袋界隈には、物語が生まれる余白のようなものも存在するのかもしれない。時代が移り変わっても、まちの記憶とまちに残る空気はこれからも作品を生み出し続けるのだろう。

※「泡坂妻夫」の「泡」の旁は正しくは「己」ではなく「巳」ですが、システム上「泡」と表記しております。

プロフィール

文化デザイン課芸術文化推進グループ学芸研究員

新航路

「江戸川乱歩賞の贈呈式が豊島区で行われます。」

  今年の、としま文化の日(11月1日)は、豊島区立芸術文化劇場東京建物Brillia HALLで、第67回江戸川乱歩賞の贈呈式が行われます。これにちなみ、中央図書館では江戸川乱歩や江戸川乱歩賞に関連する本の展示を行っています。
 また、巣鴨図書館、千早図書館も順次企画展示を開催します。
 さらに今年は、株式会社講談社のご協力により、今年の受賞作品のプルーフ版を豊島区立図書館全館で館内閲覧できるという、貴重な機会を得ました。普段はなかなか読むことのできない完成前の本です。今年の秋は、ぜひ、お近くの豊島区立図書館で、江戸川乱歩作品や江戸川乱歩賞受賞作、そして多くの魅力的なミステリーに触れてみませんか。来館をお待ちしています。
 図書館の資料を使って謎を解く、豊島区立図書館の夏休みの大人気イベント、「図書館タンテイ」が、昨年に続き、今年もコロナにより開催が叶いませんでした。残念に思う子どもさんも多いと聞きます。今も昔も、子どもも大人も、謎解き・ミステリーは世代を問わず多くの人に愛されているジャンルです。
 今回の贈呈式をきっかけとして、豊島区とミステリーがより強く結びつき、豊島区がミステリーのハブとなる新しい風が吹くことでしょう。図書館もその一員として、ミステリーの魅力を伝えることができる「場」の創造を目指します

問い合わせ先

豊島区立中央図書館
電話 03-3983-7861 ファクス 03-3983-9904